第二話 香りのいい男
第二話 香りのいい男 ――薄く、深く、残るもの 朝の永田町は、夜より冷えることがある。 人の熱がいったん引いたあとの街は、妙に現実的だ。 私は党本部の小さな会議室で、新聞各紙とネットニュースの一覧を並べていた。 紙面、見出し、配信時刻、記者名、論調の差。 一晩でどこまで波が広がったかを見るには、感情より先に整理がいる...
第二話 香りのいい男 ――薄く、深く、残るもの 朝の永田町は、夜より冷えることがある。 人の熱がいったん引いたあとの街は、妙に現実的だ。 私は党本部の小さな会議室で、新聞各紙とネットニュースの一覧を並べていた。 紙面、見出し、配信時刻、記者名、論調の差。 一晩でどこまで波が広がったかを見るには、感情より先に整理がいる。 見出しは割れていた。 新党コーヒー党、過激な“ブラック”発言 珈琲院黒郎、既存政治を痛烈批判 党首秘書・香月麗華の切り返しに注目 “ブラック肯定”ではないと釈明 火は消えていない。 ただ、燃え方が整い始めている。 一番厄介なのは、批判そのものではない。 批判の火種に、誰かの指先の跡が見えることだ。 私は最後に一通の記事を開いた。 東央ジャーナル(とうおうジャーナル)、署名は榊原慎司(さかきばら・しんじ )。 論調は辛辣だった。 珈琲院黒郎の発言は危うい、比喩は雑だ、敵をつくるのが早すぎる。 それでも、その記事だけは他と違っていた。 問題は、コーヒー党が“ブラック”をどう定義するかではない。 問題は、その定義を、党内で誰がどこまで本気で引き受けているかだ。 相変わらず嫌な書き方をする。 核心だけは外さないくせに、人の神経に細い針を刺すような文だ。 そのとき、スマートフォンが短く震えた。 差出人は、榊原。 薄いものほど、残る。 短い。 感じが悪い。 昔から、文章だけは無駄に詩的だった。 返信はしなかった。 まだ、こちらから何かを与える段階ではない。 --- 党本部 党本部の廊下は朝から忙しかった。 支持者対応、取材窓口、SNS監視、地方支部との連絡。 結党直後の新党にしては、よく回っている。 よく回りすぎている、と言い換えてもよかった。 その中心にいるのは、土居間正義(どいま・まさよし)だった。 「お電話ありがとうございます。ええ、ご懸念はもっともです。ただ、昨日の発言は切 り取りではなく全体で見ていただければ――はい、もちろん、こちらでも説明文をまとめ ます」 笑顔。 低い声。 穏やかな相づち。 誰も不快にさせない柔らかさ。 土居間は、電話を切るとすぐ別...