第五話 伝説は、本当よ
第五話 伝説は、本当よ ――白い引き出し Washington Elm(ワシントン・エルム)。 その名を見た瞬間、胸のどこかで止まっていた歯車が、ようやく噛み合った。 あの夜、古いファイルの撮影日時と日付名だけのフォルダを照合した私は、あの三枚の写真が、東大時代のアメリカ研修で撮られたものだと確定させた。 場所は、H...
第五話 伝説は、本当よ ――白い引き出し Washington Elm(ワシントン・エルム)。 その名を見た瞬間、胸のどこかで止まっていた歯車が、ようやく噛み合った。 あの夜、古いファイルの撮影日時と日付名だけのフォルダを照合した私は、あの三枚の写真が、東大時代のアメリカ研修で撮られたものだと確定させた。 場所は、Harvard Kennedy School から歩いて行ける Cambridge Common。 Washington Elm の記念標識がある一角。 白昼夢の中では、木はもっと巨大だった。 空を裂くみたいに枝を広げ、子ども一人どころか、記憶そのものを呑み込めそうな影をつくっていた。 だが、写真の中の木はそこまでではない。 古くは見えるが、伝説そのものの大木とは違う。 その違和感が、逆に記憶の混濁を裏づけていた。 史実、伝説、議論、事故、もっと古い別の木。 私の中では、それらが一度ばらばらに砕けてから、別の順番で再構成されていたのだろう。 そして、思い出した。 あの日、榊原と私が何を言い争っていたのかも。 --- 史実と伝説 アメリカ研修の三日目だった。 夏の終わりの光は乾いていて、ケンブリッジの街路樹の影だけがやけにくっきりしていた。 指導教員が自由行動の時間を出し、学生たちは三々五々に散っていた。 私は資料と現地の記念表示を見比べながら、Washington Elm の説明板の前に立っていた。 「だから、それは伝説であって史実じゃない」 背後から聞こえた声に振り返るまでもなかった。 榊原慎司だ。 「ワシントンがケンブリッジで大陸軍の指揮を執ったのは史実だ。だが、それがこの木の下だったことを裏づける公式記録はない。話を混ぜるな」 「混ぜていません」 私は説明板から目を離さずに答えた。 「建国神話の形成において、場所に付着した語りが史実と同等の象徴性を持つことはあるわ。 記録の有無だけで切り落とせば、逆に政治の現実を見誤る」 榊原は隣に立った。 いつもの、少し乾いた顔で。 「象徴性の話に逃げるな。おまえは今、“本当だったかどうか”を言ってる」 「本当よ。少...